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アナログメディア? 枯れた媒体? [独り言]

パッと思い浮かぶのは「新聞」だと思います。
今は、インターネットや携帯、テレビでニュースや各種情報は
即座にほしいときに見れる時代になっています。

その中で、「新聞」は即時性にかけるというデメリットを持っています。
しかも、新聞がなくなっても情報は他の手段で手に入れられるからいらないのでは?
と思う人が周りに多い気がします。(たまたまかもしれませんが)

でも、私は新聞は新聞ならではのよさがあると思います。

・テレビは、何かをしながら聞く感じで見られている
・インターネットも何かをしながらちょっと見たりする程度で集中してみない
・携帯は移動中とかの暇つぶし等で見ることが多い、文字数に制限がある

上記のように他のメディアはこんな感じで見られていると感じます。
もちろん、人それぞれですし、見るタイミングによっては違う事もあります。

でも、新聞を読む時は割りとゆっくり時間が取れればしっかり読んだりしませんか?
もちろん、忙しい時は見出しだけで終わる時もあるかもしれませんが、
比較的ゆっくり、文章を読む事が多いと思います。

ここが他の媒体との大きな違いのような気がします。
新聞をゆっくり読む=その内容に関して何かを思う・感じる事があると思うんですね。

いわゆる、「ながら族」で触れた情報とよく読んだ情報では感じ方がまったく違うと
思います。これは、本にもいえると思います。

つまり、得た情報を考えるという重要な動作が出来る唯一の媒体が新聞だと思うのです。

たとえば、今朝の朝日新聞の「天声人語」に下記のような内容がありました。

引用---
「会社万葉集」(光文社)にあった切ない歌を思い出した。
〈わたくしの正しき事は主張せず客の激しき言葉に耐へゐる 山口英子〉
---

内容としては、非常識な人や理不尽な事を言う人が多く、
弱い立場の者をストレスのはけ口にするといった人が増えており、
それをされた人がまた自分より立場の低い人へ・・と繰り返していく
現実が今の社会にある事を述べていたのですが、これをテレビやネットで軽く見ると、
「最近は、こーいう人多いなー」程度で終わってしまう話題かもしれません。
でも、新聞でゆっくりこの記事を読むと、
「こーいう人が確かに多いが、自分は同じ事をしていないか?」とふと思うかもしれません。

やはり、文章をじっくり読むという行動は情報を自分の中で無意識に分析するという行為を
行うために必須ではないかなと感じます。

即時性は、他のメディアに任せて十分な裏づけが取れた正しい情報を新聞でゆっくり読んで、
考えるという動作をするために新聞はとても重要なメディアだと思います。

新聞、最近ゆっくり読んでいますか?

※新聞の中身がすべて信じれるという訳ではありません。
 読んで、正しいか誤っているかを考える事が重要だと思います。

天声人語:http://www.asahi.com/paper/column.html


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